底辺女の走馬灯

最初で最後の記録

15)もう一つの家族との別れ

春になった。みんなで動物園に行った。 ふれあい広場でモルモットを抱っこした。凄く可愛かった。その時の写真も例のごとく実家のアルバムに保管されている。 お昼はみんなで作ったお弁当を食べた。美味しかったと思う(相変わらず食には無関心だったので記憶…

14)体調不良

施設内には医師が常駐していた。他にも、琴やら何やら習い事が習える環境が整っていた。 私はまだアトピーが治っていなかったので、そこで塗り薬を処方して貰った。 毛布は肌に良くないからと、薄い掛け布団だけで真冬を過ごした。めちゃくちゃ寒かった記憶…

13)児童養護施設での生活

施設での食事や掃除は当番制だった。 一時保健所では給食のように完成済みの食事が運ばれてきてそのまま食べていたが、施設では時間になると外の食材置き場に各部屋から当番がぞろぞろと向かい、自室の分の材料を持って帰って各部屋のキッチンで調理をする。…

12)はじめての木造校舎

また監禁生活かと思いきや、児童養護施設では普通に学校に通う。 とにかく田舎だったので、学校がひたすら遠い。実際どれくらいの距離だったかは忘れたが、体感片道1時間はあったと思う。集団登校だったので朝は迷子になる事は無かった。通学バスとかあって…

11)再び集団生活、開幕

保健所に戻ってから出所するまで、日数はそこまで掛からなかった。 とうとう保健所を出る日がやってきた。 来た日に着ていた私服を渡され、袖を通す。ランドセルを背負う。 兄と2週間振りに再開した。ここに来てから、本当に一度も一切顔を合わせる事は無か…

10)5年間とのお別れ

ある日、一時保健所に担任の先生がやってきた。久しぶりの再会だった。 保健所では何故か各自1本ジーパンが支給され、そして何故か私にはオーバーオールタイプが支給されていた。それを着て、これから小学校に向かうとの事だった。 私は学校を転校するらしい…

9)一時保健所での過ごし方~生活編~

食事は特に思い出が無い。すっかり食そのものに興味が無くなってしまった私なので。普通に集団で食べていたと思う。 お風呂は大浴場で数人ずつ順番に入っていた。時間制限が厳しく、慌ただしかった記憶がある。 一人、常に頭にバンダナを付けている子が居た…

8)一時保健所での過ごし方~学習編~

そこは、”一時保健所”と言われる場所だった。たった今ググって名称を知ったので、当時は何の施設だったのか勿論よく分かっていなかった。何故自分がそこにいるのかも理解していなかった。 保健所の中では、一切の私物の持ち込みが禁止だった。 ランドセルは…

7)住み慣れた我が家(吉幾三ボイス)との別れ

小学5年生の冬、私は放課後ミニバスに勤しんでいた。 ミニバスの顧問だった担任の先生が、体育館の外から慌てた様子で私を呼んだ。そして、急いで帰る仕度をして、と言ってきた。何かとんでもない事が起きている事は瞬時に察した。 先生は私に付き添って、歩…

6)人生の転換期の幕開け

自宅警備員はそれなりに長い期間やっていたと思う。 本当は学校に行きたいという気持ちはあったのだが、生活習慣は乱れ、昼夜が逆転しつつあり、朝になるとどうしても起きれず「今日も休む~」を繰り返していた。母は何も言わなかった。 ある日、家にセール…

5)門番の母に立ち向かう小学生兄妹

ここで、私が小学生時代の母の思い出を語ろう。小学校は6年あるので、そりゃ話題は色々とある。 両親は酒、タバコ、パチンコが趣味だった。父が泥酔した所を見た事は無かったが、母はしょっちゅう酔っぱらっていた。というか、印象が強すぎてそんな所しか記…

4)小学生自宅警備員爆誕

授業が嫌で、小3辺りから少しずつ学校に行かなくなっていた。それでもたまに気が向いたら行っていた。担任の先生も気にかけてくれていた。 もはや小3だったか小4だったかは定かではないが、ある日クラスに女の子の転入生がやってきた。Kちゃんと名付けよう。…

3)兵十とごんぎつねはズッ友だった小学生時代

保育園を無事卒園し、私は小学生になった。 入学式は薄いピンクのワンピースを着ていく予定だったが、見事に風邪を引き休んだ。勿論ギャン泣きした。ピンピンしてたけど、確かに熱はあったんだと思う。 集合写真では上端に丸く顔写真が載っている筈だ。残念…

2)セルフSMプレイに励んだ保育園時代

保育園の頃はあまり記憶が無いのでエピソードも少なめだが、私自身の話としては、とにかく貧弱だった。 出生時は3600gほどあった体重が、保育園にもなるとみるみる痩せ細っていった。本気で骨と皮しか無い状態だった。 私自身は元気だと思っていたが、周囲…

1)道端で包丁ぶん回す母を持つ保育園児

デザイン系の専門学校を卒業後、1年間のフリーターを経て21歳から正社員として約10年勤めていた会社を、2022/1/31をもって退職する。退職理由は書くのを忘れなければ後述する。 おそらくこの日記は何部作かに分かれ、最終章の終盤に現在の事を書くことになる…