底辺女の走馬灯

最初で最後の記録

2)セルフSMプレイに励んだ保育園時代

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保育園の頃はあまり記憶が無いのでエピソードも少なめだが、私自身の話としては、とにかく貧弱だった。

出生時は3600gほどあった体重が、保育園にもなるとみるみる痩せ細っていった。本気で骨と皮しか無い状態だった。

私自身は元気だと思っていたが、周囲の大人が心配しまくる。というのも、私はとにかく偏食だった。

肉ダメ、野菜ダメ、焼き魚ダメ。好きな食べ物はお菓子と納豆と朝マック。寿司屋の板前ということもあり、父がよく刺身を持って帰ってきてたそうだが、ぶっちゃけあまり記憶にない。

また、母からの食事のしつけが異様に厳しく、食事の時間が大嫌いだった。それもご飯をあまり食べなかった原因だったと思う。両親はさぞかし苦労したと思う。

 

中耳炎やアトピーにも悩まされており、しょっちゅう病院に通っていた。中耳炎の治療はめちゃくちゃ痛くて毎回泣き叫んだ。これ前回もやったぞ!?何で1回で治してくれねーんだよ!!って内心キレてた。言葉が発達していないだけで、思考は大人とさほど変わらなかったと私は記憶している。

余談だが、この頃の私は中耳炎の事を「中児炎」だと思っていて、子供がかかる病気だと思っていた。なので耳鼻科に大人の患者がいる事が不思議だった。

 

保育園ではというと、運動がこの頃からまるで出来なかった。でも階段は4段飛ばしくらいでぴょんぴょん飛び降りてた。怖いもの知らずとは末恐ろしい。

今の私の趣味はイラストを描く事だが、この頃からお絵描きには夢中だった。字もまだ読めないくせに、父が漫画雑誌「なかよし」を買ってきてくれて、当時はセーラームーンが連載されていたので、綺麗なカラーイラストを眺めては模写しまくっていた。

友達で上手い上手いともてはやされてた子が居たが、その子は頭が異様にデカい女の子の絵を描く子だったので、内心全体のバランス的にも私の方が上手いだろと思ってた。大体いつも負けるくせに無駄に負けず嫌いだった。性格も良くはなかった。あ、それは今もだ。

お昼寝の時間は、指をしゃぶる癖が治ってなかったのが恥ずかしくて、いつも布団を頭まですっぽり被って寝ていた。でも毎回先生にはがされて、慌てて口から指を抜いていた。おもらしはたまにしていた気がする。

戦隊モノのごっこ遊びでは、悪役に捕らわれた一般人役が好きで、あまりやりたがる人もいなかったので積極的に取り組んだ。捕まったり、縛られたり(実際は縛ったりしないので妄想の中で)されるのが好きだったので、天性のドMだった。この性癖が恥ずかしい事だとは当時から何となく分かっていたので、誰にも話したことは無い。

 

保育園時代はこんな感じだったと思う。この頃はまだまだ平和な時だった。

 

続く。