底辺女の走馬灯

最初で最後の記録

7)住み慣れた我が家(吉幾三ボイス)との別れ

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小学5年生の冬、私は放課後ミニバスに勤しんでいた。

ミニバスの顧問だった担任の先生が、体育館の外から慌てた様子で私を呼んだ。そして、急いで帰る仕度をして、と言ってきた。何かとんでもない事が起きている事は瞬時に察した。

先生は私に付き添って、歩いて私の自宅まで送ってくれた。その時に、何が起きたのかを説明してくれた。しかし、ここでも私の残念な脳みそは炸裂し、どんな説明をされたのかは全く覚えていない。ただ、私は話を聞いて泣いた記憶はあるので、その時は話を理解していたのだと思う。先生は歩きながら私の肩をぐっと掴んで支えてくれた。

ここまで書いてきてふと思ったのだが、人間の記憶は言葉よりもその時の情景の方が記憶に残るのかもしれない。

 

マンションの前まで行くと、見知らぬ黒いワゴン車が1台止まっていた。というか我が家は東京住みという事もあってか、車を所持していなかった。中一だった兄は既に車の中で待機していた。おそらく時刻は17時~18時くらいだったと思う。冬だったのでもう辺りは真っ暗だった。

車の周辺には2~3人の男性が居たと思う。マンションの中からこれまた見知らぬ黒いダウンコートを着た母と、男性が1人出てきた。母は憔悴しきった様子だった。

母と私はワゴン車に乗り込み、男性の運転でどこかに向かっていった。慣れ親しんだマンションには、これっきり帰れなくなった。

 

駅で言うと何処だったのかは覚えていない。その日から1週間ほど、見知らぬマンションでの生活が始まった。家具家電は揃っていたと思う。レオパレス的な所だったのだろう。私は暢気にも少しはしゃいでいた。

学校は兄と電車で通う事になった。電車通学は初めてだったので凄く緊張した。私は小学校、兄は中学校だったので、帰りはどうしたのか覚えていないが、おそらく待ち合わせをして一緒に帰ったのだと思う。

1週間後、今度はとある場所の施設まで兄と私は連れていかれた。母とはここで別れた。施設の中に入ってからは、兄とも別々になった。

この施設で、約2週間一歩も外には出られず、寝食する事になるとは流石に思っていなかった。

 

続く。