底辺女の走馬灯

最初で最後の記録

1)道端で包丁ぶん回す母を持つ保育園児

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デザイン系の専門学校を卒業後、1年間のフリーターを経て21歳から正社員として約10年勤めていた会社を、2022/1/31をもって退職する。退職理由は書くのを忘れなければ後述する。

おそらくこの日記は何部作かに分かれ、最終章の終盤に現在の事を書くことになるだろう。

私が今語りたいのは、私の生い立ちである。まずは保育園時代から話を進めよう。

 

私の家族は、父、母、2つ上の兄、私だった。早速脱線して申し訳ないが、少しだけ家族の自慢話を挟むことにする。大丈夫、すぐ終わる。

父はお寿司の板前だった。高級寿司屋として有名な銀座久兵衛で修行した後、祖父と2人で店を構えた。長い1枚板のカウンターテーブルだけでも200万円掛かったらしい。

オープン当初は王貞治やら長嶋茂雄やらが来店したらしいが、証拠写真はまだ見つかっていないので、私はあまり信じていない。

祖父もまた凄い人で、宮内庁の料理人だった事があるらしい。上皇上皇后両陛下の結婚祝賀で料理を振るった当時の記事が手元に残っている。ネットで調べても出てこなかったから多分身バレはしないだろう。分からんけど。まぁどっちでも良い。

母はこの頃は仕事をしていた。服を作っていたとの事だが、詳細は分からない。高級スーツを仕立ててたとか、子供服を作ってたとか。転職なりして両方やってたのかな。

みんな華やかな仕事だが、そういう時代だったのだろう。

自慢話、終わり。

 

母の思い出はこの時からスタートする。

最初に伝えておくが、母はだいぶ頭がおかしい。

一番最初の記憶は、何故か朝っぱらから酒に酔ってた母が包丁片手にマンションの外に飛び出し、大声で「助けてーーーー!!!殺されるーーーー!!!」と暴れ狂ってたシーンだ。

「この包丁で殺されそうになったの!!!助けてーー!!」と叫んでいた。当時私は3~5歳。トラウマである。銃刀法違反だとか心の中で突っ込む知識はまだ無い。

当たり前だがご近所さんは一体何事かと、慌てた様子で外に飛び出してくる。私はその光景を少し離れた所から呆然と眺めているほか無かった。

どう収束したかはあまり覚えていないが、近所の男性が数名がかりで母を止めようとしていたような記憶がうっすらある。最終的にはおそらく父が家に連行したのだろう。包丁でご近所さんを傷付けたりもしていなかった筈だ。警察官を見た記憶も無いし。

その日は父が保育園まで連れて行ってくれたと思う。きっと全員遅刻だっただろう。

 

続く。